Studio ALTOとは、1986年に私立 東京工芸大学 工学部 漫画研究会内の有志にて設立された活動組織だったといわれているが、定かではない。
そのリーダーは当時正式に部に昇格したばかりの時の初代部長であり、活動目的はとある漫画のFCとしてが起源だったと伝えられている。
ALTOの名前の由来は、創設時メンバーの一人が所有する当時の彼らの”足”であった『SUZUKI
ALTO』という車名から採られたという。
彼らは”あぽ”の本、”女の子の本”をはじめ、数々の同人誌を発行し、活動を続けていた。
そんな、ある時…。
1987年秋、StudioALTO主催者である漫研部長が突然の交通事故にて帰らぬ人となった。
その後、StudioALTOは部長代理(後に部長に昇任)にて活動を継続し、魔法の妖精ペルシャ本『ですの』等の作品を発行し続け、途中『StudioALTO
WORKS』と改名しながらも活動を続けていた。
1988年に私立 東京工芸大学 工学部 漫画研究会に入部した私(神代☆恵)が装甲騎兵ボトムズ本、初版『アストラギウス大百科事典』を発行するにあたり、『StudoALTO』のサークル名を借用したのが現在のStudioALTOの始まりである。
その後、『ALTO Project. Production.』と改名し、『改訂アストラギウス大百科」事典』、魔法のアイドルパステルユーミ本『PASTEL』、『キャンペーン版大戦略
シナリオ集』等を発行するが、卒業後に『StudioALTO』と戻し、現在に至っている。
現在のStudio ALTOは、その中に…
が存在する(らしい…)。